1.リュックさんのシェア哲学(前編)  2013.04.17

パリでは、昔から、アパルトマンやアトリエをシェアする文化が根づいています。近年は、自転車や車といった交通手段、さらには家庭菜園などをシェアする試みもすっかり定着し、新しいスタイルとして毎日の暮らしの中にごく自然に取り入れられています。このコラムでは、そんな、パリジャン達をご紹介します。
     
 「この10年、常に同居人と暮らしてきた」というのはアーティストのリュックさん。その数、実に15人。国籍も多様です。フランス人、日本人、オーストラリア人、ロシア人、ドイツ人、イギリス人、イタリア人の同居人たちは、短くて1ヶ月、長くて2ヶ月というサイクルで、リュックさんの暮らしに足跡を残していきました。

 その住まいがあるのはパリの北、20区。この下町にあるロフトを偶然訪ねたリュックさんは、その独特の住環境にすぐに夢中になりました。一見何の変哲もない入り口の扉を開けると、そこに広がるのはしんと静まった中庭。そしてその先には、共同の通路をはさんで、ガラス張りのロフトが立ち並んでいます。どこか長屋風のそんな空間には緑が生い茂り、パリとは思えないほどの静けさに包まれています。
     
   「僕はそんなにお金があるってわけじゃないけど、想像し得る最高の生活の質を享受していると思ってる。このアトリエは、街のなかにある小さな田舎の欠片なんだ」と語るリュックさん。20歳の時にここを発見した時の直感は、確かに正しいものでした。

ただ、問題はその家賃の高さ。60平米のそのロフトの家賃は、とても、地方から出てきた若者がひとりで払えるような値段ではありませんでした。

 そこで、リュックさんは同居人を募ることに。「あまりにもこの空間が気に入ってしまったから、どうにかして住む方法を考えた。金銭的なことを考えると、同居人なしにはこのロフトに住めないのは分かりきっていた。だから、選択の余地はなかったんだ」と、その先、長きにわたる共同生活をスタートさせました。

     
 今までの同居人は、ほとんどが友人の紹介でやってきた人たち。同居人に求めるのは、「感じが良いこと」のみで、性別や年齢、職業などは関係ありません。今までに、フォトグラファーやミュージシャン、金融関係者、はたまた学生などと一緒に暮らしてきました。

 「新しい人たちとの出会いは、僕の生活を豊かにしてくれている。みんな、ここに、それぞれのストーリーを運んでくるんだ。喜びや恐れなんかも、すべてね」と言うリュックさん。このロフトをシェアすることで、いくつかの忘れられない思い出も生まれました。

 ミュージシャンの同居人のプライベート・コンサートを開いて70人もの友人を招待したこともあれば、自分でも知らないうちに、ある同居人の心の病いを癒した経験も。「オーストラリア人の彼女は、毎日とても悲しそうだった。僕は彼女が病気だとは知らないまま、マルシェに行って買い物をして料理をしてただけなんだけど、ある日、彼女から告白されたんだ。“ここで暮らした半年のおかげで、私は立ち直ることができた。あなたは私の人生を救ってくれた”ってね」
     
 同居人は、家族でも、恋人でも、友人でもありません。近いようで遠い、不思議な距離感の人間関係。だからこそ生まれる効用があることを、リュックさんは体験を通して知っているように思います。

 一方、毎日暮らしを共有するからこその苦労も。その代表例が、掃除!
「ここは1階で、1歩外に出れば庭があるという環境だから、枯葉や土ぼこりなんかがどんどん入ってくる。ふたりで一生懸命やっても、床を掃除して、ホコリをはたいて、水周りを磨いたりしていたら、3時間はかかってしまう。このことについては、僕が初めに同居人に説明することのひとつ。でも、人によって汚れに対する寛容度は違うからね。結局、僕が先に気がついてひとりでやることもある」そう。
     
 そして、もうひとつの問題は、「音」。サロン、キッチンが1階に、それぞれの部屋が2階にしつらえられているこの空間には、トイレとシャワールーム以外に扉が一切ありません。仕切りの壁もなく、すべての物音は筒抜けです。大工仕事が得意で、キッチンのテーブルや棚も自分でつくるほどの腕を持つリュックさん。その気になれば、空間をパーティションに分けることなど朝飯前のはず。それでもあえて扉や壁をつくらないのは、一体どうしてなのでしょう?「唯一の壁は、お互いへのリスペクト」なのだと言います。(次回へ続く)

日本でもよく耳にするようになった「シェアハウス」。パリで暮らすリュックさんは独自の「哲学」を持って暮らしていました。後編は、リュックさんがこれまで歩んできた道や、住まいをシェアする上で大切にしていることについて詳しくお話しいただきます。後編はこちらからどうぞ。
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