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column caféの使い方
小さい頃からキャトル・セゾンが大好きだったというcafe文化研究家の飯田美樹さんから届いた本とコラム
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vol.3 風を感じるテラスに行こう

 大学一年生の時、初めて私がアルバイトをすることになった南欧料理のお店は「ランコントル」という変わった名前の店でした。聞き慣れない名前の意味を先輩に尋ねてみると、彼女はちょっと照れくさそうに笑ってこう言いました。「出会いっていう意味なのよ。」偶然ここで耳にした「ランコントル」=「出会い」という単語は、その後の私の人生に大きな足跡を残すものでした。「ランコントル」とは、一般的には約束をして会うことではなく、たまたまそこで出会ってしまったということを意味しています。カフェの研究をすすめるにつれ、この偶然の出会いというものが、いかに面白く、人の創造性を豊かにするものかということがわかってきました。
 
 ところが日本のカフェではなかなか思いがけない人との出会いはありません。日本でもそんなことは可能なのかなと思っていたところ、子どもを産んだ私には思いがけない出会いが待っていました。私に待っていた出会い、それはカフェというより電車やバスなど公共交通機関での出会いです。電車やバスは黙って乗るもの。見知らぬ人と会話をするような場所ではない、長いことそう思って生きてきたのに、突然私には毎日のように予期せぬ出会いが起こるようになったのです。今時子どもをおんぶしていることが珍しいからなのか、子どもが愛想いいからなのか、私の隣や向かいに座ったおばさんやおばあさんはほとんど子供に目配せをして話しかけてくれるのです。
 
 正直なところ、私も最初はどう応対すればいいのか戸惑って簡単に会釈をするだけでした。けれども双方の実家から離れて孤独に子育てしている私にとって、日々の潤いといえば「ランコントル」だけなのだということに気づいてからは、私も積極的に会話するようになりました。すると出会ってから降りるまでの十分位、話が尽きないこともあり、全く見知らぬ者同士なのにお互いの深い想いを吐露してしまうことまであったのです。

 どうして電車やバスではこんなに温かな出会いが起こるのだろう?と考えてみると、お互いに乗ってしまえば着くまではぽっかりした時間だからだ、ということが考えられます。だからこそ、お互いに時間的余裕があるのを察しあい、一期一会を楽しむことができるのだろうと思います。


 
 

カフェという場も、そこに行って飲物を頼んでしまい、それに口をつけたらその場に対する目的は達成されて、あとの時間はぽかんと空いた無目的な時間になってしまいます。かつてフランスの作家レオン・ポール・ファルグは、「カフェに行くためにカフェに行くフランス人は世界一のカフェの優良顧客である」と述べていました。カフェに行くためにカフェに行く、というのは飲物を飲むために行くわけではなく、飲物が出てきたあと、自分に残された無目的なぽっかりとした時間をいかに楽しむかということです。

 とはいえ日本のカフェではお互いがのんびりしているように見えたところで話しかけるのは容易なことではありません。そこには何らかの好意的な変化をうながすアトラクションが必要です。私の場合は赤ちゃんという、仏頂面だった人達をたちまち満面の笑みに変えてしまう偉大な存在がいたお陰で、電車だけでなくカフェでも隣の人から話しかけられるようになりました。赤ちゃんの笑顔は周囲の人の外出先でのガードを一瞬にしてとくようで、無表情だった人たちが素の笑顔をみせてくれるのです。
 
 では赤ちゃん以外だったら?例えばお店の人が試食のケーキをくれたときや、何かを試飲させてくれた時など、思いがけない嬉しいことがあったときには素の自分が喜んで出てきてしまうのではないかと思います。そういったプラスの感情が働いたとき、つい隣の人ともわかちあいたくなってしまって、そこでお店の人が一言でも声をかけてくれたなら、そこには素敵な出会いがあるんじゃないかと思います。

 偶然の出会いを何度か楽しんでみればそのおもしろさにやみつきになり、今度は主体的に出会いを起こしたくなってくると思います。お互いに多少の時間的余裕があり、カフェというのがそんな出会いが起こりうる場だと思っていれば「ランコントル」は単調な生活にあたたかな潤いをもたらしてくれるでしょう。出会いを楽しむためにはカフェも旅も、友人と一緒ではなく一人で行ってみることです。そんな出会いが起こるカフェが日本にも増えるといいですね。

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