文字の大きさsmallnormalbig
column caféの使い方
小さい頃からキャトル・セゾンが大好きだったというcafe文化研究家の飯田美樹さんから届いた本とコラム
hairline
vol.2 カウンターの魔法

 パリのカフェ、と言われてまず思い浮かぶイメージといえば広々と道路に並んだテラスでしょう。観光客や一見のお客にとって、テラスはとても入りやすくて気持ちのいい空間ですが、実はパリのカフェでテラス以上に重要な役割を果たしているのが常連向きのカウンターです。パリのカフェのカウンターはほとんど立ち飲みで、エスプレッソや食前酒などをさっと飲みつつ店主と会話をかわすようになっています。そこで話すのはたわいもない話ではありますが、カウンターでほっと一息つくことで日常の元気をとりもどすことができるのです。
 1920年代に栄えたモンパルナスのカフェ、ロトンドも世界的に有名になる以前から小さなカウンターのあるカフェでした。ロトンドでは、貧乏芸術家たちを深く愛していた主人、リビオンの温かい心遣いと会話のお陰で多くの若い芸術家たちがつながっていきました。カウンターでは主人とお客とが直接会話してつながることができるため、主人の会話を通して見知らぬ人とも会話することが可能です。ロトンドに通い始めた当初はパン屋の使用人だった少女のキキも、主人のリビオンに自分の存在を認めてもらうことで次第に芸術家たちと仲良くなり、のちにモンパルナス中の画家に愛されるモデルとまでなりました。

 とはいえ、私自身カフェにはよく通っていたものの、カウンターに行くのには勇気が要って選ぶのはいつもテーブル席でした。ところが自分が一年半の間運営することになったカフェには備え付けのカウンターがあり、見ず知らずのお客さんが扉を開けた瞬間から、カウンターを目指してつかつかと進んでくるのです。これには本当に驚きましたが、何度もこんな経験をするうちにカウンターでの会話こそカフェの醍醐味なのだと気がつきました。初対面のお客と店主とでははじめの会話は当たり障りのないものですが、共に同じカウンターで時を過ごすうちに深い会話にまでなっていくことがあるのです。そして店主は未知の人だったお客さんを他人に紹介できるほど知ることができ、同じ空間で時を共有していた二人の間には絆さえもが生まれてゆくのです。
 カウンターでの会話は決して真剣なカウンセリングではありません。けれどもカウンターには魔法があります。誰かと少しだけでも会話して、ちょっと気がまぎれることで「ああ、なんだか救われた!」「元気になった!」と思えてしまうのです。カフェにはカウンターがあり、ちょっとした会話が可能だからこそ、沢山の人が救われるのです。カウンターに座り、名前で呼んでもらえるようになったらもう常連の仲間入りです。素晴らしい店主のいる店ではカウンターに来る客の様子が少し違うだけでもそれを察知して声をかけてもらえます。

 また、店主が忙しそうにしている時はさりげなく常連の誰かに会話を振ってくれることでしょう。すると不思議なことに、たまたま居合わせたその人と随分と話が合ってしまうことがあるのです。私自身、泣きたい気持ちでいてもたってもいられなくなり、「そうだ!」と思ってよく通っていたカフェのカウンターをめざして自転車をこいだことがありました。初めは目に涙をためていたものの、そこで出会ったお客さんと話があって一時間くらい会話をし、その人に出会えて良かったと言ってもらえたために随分と元気になってその店を出たことがあるものです。このように会話に救われるだけでなく、お客同士でつながってゆくことで、マイナスの気持ちからお互い頑張ろうというプラスの気持ちにまで変わってゆくことがあるのです。
 カウンターはなんだか敷居が高いなあと思って躊躇するかもしれません。でももしお気に入りのカフェにカウンターがあるならぜひ一度カウンターに腰掛けてみてください。一度カウンターに慣れてしまえば後は世界が広がるばかり。ぜひパリのようにカウンター文化を使いこなしてみてください。

hairline