時をこえて、芸術家たちの黄金時代へ 2012.06.18
2012年に日本で公開されたウディ・アレン監督の映画『ミッドナイト・イン・パリ』は、1920年代のパリに憧れる主人公が、その時代にタイムスリップする話。その頃のモンパルナスは、世界中からやって来た芸術家たちが仕事に励みながらもカフェや誰かの家に集って、日々語り合い、お酒を飲み、ダンスをしていたような街でした。せっかくの機会ですから私たちも、芸術家たちの集ったパリのカフェにタイムスリップしてみませんか。  
 
 
 

● La Closerie des Lilas (クローズリー・デ・リラ)
リュクサンブール公園の端、モンパルナスのはずれにあるクローズリー・デ・リラは、モンパルナスに芸術家が集う時代の発端となったカフェ。19世紀後半のこのお店には、モネやルノワールなど、印象派の画家たちも集まりました。詩人のポール・フォールが1903年から火曜の晩に詩の集いを開催すると、ここには世界中の詩人や芸術家たちがやって来るようになりました。モンパルナスの噂を聞きつけ、パリの北、モンマルトルに住んでいた若きピカソもこの店の扉を開けました。このイベントの通過儀礼だった、ちょっと意地悪な質問に対し、鮮やかな質問を重ねてその場をアッと言わせた彼は、パリの南のモンパルナスまで足を運ぶようになりました。真夜中を過ぎても終わることのない詩の集いでは、相当な量のアルコールが消費され、とても騒々しかったそう。

詩の集いがない日でも、クローズリー・デ・リラの夕暮れ時には詩人たちや新旧の雑誌の編集者たちが集っていました。何故かって?それは木々に囲まれたテラスが本当に心地いい場所だったから。そんな中で美味しい飲み物片手に会話をすると、インスピレーションの1つも生まれるだろうというわけです。今でもこの店には緑が溢れ、テラスに座るとパリ郊外の森に小旅行しに来たかのよう。

1920年代前半にヘミングウェイが通ったころには、詩人や芸術家達もほとんど姿を消していましたが、彼はそんな落ち着いた雰囲気を好んで、ここを自分の仕事場に決めました。モンパルナスに住んでいたヘミングウェイは『移動祝祭日』の中で、この店を「一番近くにある良いカフェであり、また、パリ中でも最上のカフェの1つであった。冬は室内があたたかで、春と秋は、ネイ将軍の像のある方の側では木陰にテーブルを並べ、ブールヴァール沿いには大きな日除けの下に、四角い、揃いのテーブルをおき、外にいると快適だった。」と述べています。彼が執筆しながら眺めていたネイ将軍の銅像は、時を隔てた今でも天に向かって剣を振りかざしています。

現在のクローズリー・デ・リラは料理がメインで、カフェというよりレストランに近い雰囲気ですが、お茶することも可能です。店内は高級ホテルのバーのようなしっとりとした雰囲気で、外が昼でもここだけはいつも夕暮れ時か夜のよう。間接照明の優しい光の中でゆったりとソファーにもたれ、グランドピアノから流れる音色に耳を澄ませば、気分はもうミッドナイト・イン・パリの世界。

 
 
 
 
● La Rotonde (ラ・ロトンド)
モンパルナスの歴史の発端がクローズリー・デ・リラならば、歴史を築き上げたカフェはロトンド。ほんの小さなビストロだったこの店を1911年に買い取った主人、ビクトール・リビオンは、どんなお客でも大切にして常連たちから「パパ・リビオン」と呼ばれていました。画家のモディリアーニはお金がない時、飲食代の代わりに何度もデッサンで支払わせてもらっていました。クロワッサンを10個以上食べたとしても、お客が3個だったと言うなら3個の値段でお勘定を許してくれる、貧乏芸術家に寛大な店だったのです。日本からやって来た画家の藤田嗣治もこの店の常連で、ロトンドを通して2回も人生のパートナーを見つけることになりました。有名なモデルのキキとも、この店がなければ出会えたかどうかわかりません。

ここに来る前はパン屋で働いていた少女のキキは、ロトンドで人生が開けていった女性。当時の女性は、帽子をかぶらないと娼婦だと見なされていて、お店の奥の空間に集う画家やモデルに憧れていた彼女はリビオンにこう言われます。「キキ、帽子を見つけれくればいいじゃないか。そしたら奥の空間にも行けるんだよ。」そしてキキの人生は変わります。「リビオン父さんは私を見て笑わずにはいられなかった。私は想い出深いこの変な帽子のおかげでカフェの奥にも行けるのだ。ああ、みんなが遠くから私に気づいてしまう!私はやっと本当の居場所を見つけた。画家達は私を受け入れてくれた。悲しみの時間は終わった。まだお腹が減ってもご飯にありつけないことはあったけど、みんなで笑っていればそんなこと全部忘れられるのだ。」それからキキは藤田やキスリング、写真家のマン・レイはじめ、多くの芸術家お気に入りのモデルになり、モンパルナスの女王と呼ばれるまでになりました。キキによればモディリアーニの家にあった家具はほとんどこの店から無断で拝借してきたものだったとか。それでもお祝いの席に招かれてその現状を知ったリビオンは、怒るどころか店に戻ってワインを取って来てくれたそう。それくらいあたたかい物語のある店だったのです。

沢山の人が日光浴をしていた南向きのテラスは今でも健在。目の前には前回ご紹介したカフェ、ドームがきらきらと美しい光を放っています。店内で赤い布張りのソファーにゆったりと腰かけながら、壁に飾られたエコール・ド・パリの画家たちの絵や、赤とオレンジ色の優しい光に包まれてボーッとしてると、ハッと目を開いた時にはモディリアーニやマン・レイがそばに居るかもしれません。
 

 
 
● La Coupole (クーポール)
クーポールはモンパルナスの狂乱の時代を象徴するお店。ここがオープンしたのはすでにロトンドとドームが超満員で、お客さんたちが歩道に押し出されていた1927年のこと。タバコの煙がたちこめていたそれまでのカフェとは違い、天井を高くして広々とした空間にした、アール・デコ調の巨大なブラッセリーでした。すでに華々しくなっていたモンパルナスに、社交界の人たちをこぞって呼び寄せたのがこの店です。

オープニングパーティには詩人ジャン・コクトーや、藤田、マン・レイを含む2500人が招待され、1200本用意されたシャンパーニュは瞬く間になくなったそう。高い天井を支える24本の柱には、モンパルナスにいた芸術家たちに依頼して描いてもらった絵が今でも残っています。社交場を目指して作られたクーポールは本当に独特な空間で、当時の人々に愛されていたカフェのテラスが丸ごと室内にやってきたよう。ここでは遠くで誰かを見かけたら、友人は席に残してちょっと挨拶、ということができたのです。

クーポールはバーカウンターも評判で、多くの有名人がここで一息ついていました。ロトンドで藤田に一目惚れして結婚したフランス人女性のユキは、結婚から何年か経ったころ、こちらのバーに一人で腰掛けていたシュールレアリスムの詩人、ロベール・デスノスと一杯飲むことになり、そこから新たな恋物語が始まりました。

第二次世界大戦後のクーポールには、サルトルとボーヴォワールが決まった時間にいつも昼食をとりに行っていたそう。メディアに追いかけられていた彼らをこの店はいつもそっと見守ってくれていたのです。1980年、サルトルの葬儀の際にはクーポールのギャルソン全員が店の前で白ナプキンを腕にかけて整列し、葬儀の列を静かに見送ったとのことです。

パリのカフェには常連さんとお店側とのあたたかな声の掛け合いや暗黙の了解があり、それを見ているだけでも自分もその世界の一員に入れてもらったような気分になるから不思議です。以前『カフェ・ド・フロールの黄金時代 ?よみがえるパリの一世紀? 』という本の著者にインタヴューをした際に、パリのカフェにはラジオや有線などの音楽は必要がなく、人々のざわめきやお皿やフォークのカチャカチャいう音さえあればいいのだと伺いました。未消化な話について考えながら、初めて座るクーポールのバーカウンターの高い椅子から店内を眺め、人々の楽しそうに談笑する様子やギャルソンの声、お皿が運ばれて行く音などの混じり合いを感じている時、彼が言わんとしていることはこれだったのか・・・!と身体中で衝撃を受けました。カフェに集う人々が自ずと作り出していく美しい交響曲、それこそがカフェ本来の音色だったというわけです。お客さんのいないクーポールはがらんとした箱でしかありません。けれども沢山の人で満たされ、人々が楽しそうに話を始めた時に、この店は本領を発揮するのです。クーポールは今でもやっぱり夜型の店。21時以降など、なるべく遅い時間に訪れたなら、20年代の雰囲気を少し感じることができるかもしれません。
 



 
 
 
● Les Deux Magots(レ・ドゥ・マゴ)
モンパルナスが華やかになる以前から、ドゥ・マゴはサン=ジェルマン・デ・プレにあったカフェ。サン=ジェルマン・デ・プレはモンパルナスからメトロで3駅。レンヌ通りをまっすぐ歩くと30分くらいです。この店はもともと上質な生地屋さんで、それが改装されてカフェになりました。サン=ジェルマン・デ・プレ教会の前の広場に張り出されているドゥ・マゴのテラスは誰にとっても特別で、昔から今に至るまで、誰しもが行きたい時には満席です。生地屋さんの歴史を受け継いだのか、ドゥ・マゴはずっと上流階級の人に愛されるカフェでした。ここは貧乏芸術家や若者が集まるというより、何者かとしてすでに成功している人たちが、穏やかな一時を過ごしたり、誰かと談笑をしに来るカフェ。いつだって荒波が立つようなことはありません。

ドゥ・マゴで有名な文化といえば、日本にもあるドゥ・マゴ文学賞。これは1933年、作家のアンドレ・マルローに権威ある文学賞、ゴングール賞が与えられた日に、ドゥ・マゴの常連たちが、「どうして俺たちは自分たちで賞を作らないんだろう?」と話したことから始まったそう。「じゃあ常連の中から13人の審査員を選んでみるのはどうだろう?一人100フランずつ出し合えば、全員で1300フランの賞になる!」というわけで、選び出した13人の常連達に、今日の17時に店に集まるように、と高速速達便を送ったところ、速達を全員が受け取るより早く、常連達はいつものように店に集まっていたそうです。そうしてレーモン・クノーの処女作が第1回の賞に選ばれ、そのことを次の日に新聞で知った店の主人が、来年からはお店側で開催しましょう、と提案してくれたとのこと。ちょっとした思いつきから始まったカフェの文学賞は、その後サン=ジェルマン・デ・プレのブラッセリー・リップやカフェ・ド フロールにも飛び火して、日本でもドゥ・マゴ文学賞の審査は毎年開催されています。

ドゥ・マゴは濃厚だけれど甘過ぎないショコラが絶品。パリのほとんどのカフェとは違い、粉からではなく、板チョコをゆっくりと牛乳に溶かす、昔ながらの方法で作っているそうです。テラスもドゥ・マゴの醍醐味ですが、木製で年代物の回転扉をゆっくり開けると、ボーヴォワールも執筆していたこぢんまりとしたシックな空間が待っています。
 
 
 
 

■La Closerie des Lilas(クローズリー・デ・リラ)
171 Bd.du Montparnasse, 75006
メトロ4番線 Vavin

■La Rotonde Montparnasse(ラ・ロトンド)
105, Bd du Montparnasse, 75006
メトロ4番線 Vavin

■La Coupole(クーポール)
102, Bd du Montparnasse, 75006
メトロ4番線 Vavin

■Les Deux Magots (レ・ドゥ・マゴ)
6, Place Saint-Germain-des-près 75006
メトロ4番線 Saint Germain des près

   

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飯田美樹
カフェ文化研究家。留学時代にパリのカフェ文化に魅力を感じて以来、社会の中でカフェという場が果たす役割について研究、発信している。著書に『cafeから時代は創られる』。2011年には西国分寺のカフェ、クルミドコーヒーの社員さんたちとパリのカフェを巡るツアーを企画、実行。パリのカフェやビストロの情報発信をするフランスのサイト、Paris-Bistro.comの日本版代表。
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