「美味しいパンとヴァン(ワイン)とフロマージュ(チーズ)」
最もシンプルで、幸せなフランスの食卓です。お気に入りのプレートを使い、気の置けない仲間と共に楽しむには、豪華なフランス料理よりも断然楽しいと思います。
 そんな、飾らない豊かさをお伝えしたくて、日本における農家製フロマージュ普及の第一人者、本間るみ子さんに原稿をお願いしました。
 第一回目は、「チーズの王様」と言われるブリ(ブリーチーズ)を紹介いただきます。千年以上の歴史を持ち、シンプルでいつまでも飽きのこないブリ。そのトロッとしたところを大きくカットしてバケットにのせて頬張りたくなります!
キャトル・セゾン代表  前川睦夫
1. パリ近郊のブリ三兄弟  ブリ・ド・モー、ブリ・ド・ムラン、クロミエ   2012.12.3
   
ブリ地方 チーズ三兄弟 
 パリから東に車で約1時間。美しい風景の中に、三つのチーズの故郷があります。モー(Meaux)、ムラン(Melun)、クロミエ(Coulommiers)。ブリ三兄弟の序列は大きさの順で、長兄のブリ・ド・モーの重さは2.5Kg〜3Kg。次男のブリ・ド・ムランは約1.5Kg。ぐっと小さいクロミエが三男坊ということになっています。

 三兄弟と呼ばれるだけあって、姿形は似ているのですが、ひとつひとつ味わうと実はなかなかの個性派揃いということがわかります。世界にその名を広めたエリートのモー。味で勝負のムラン、町の美しさと市で有名なクロミエ。それぞれのチーズのエピソードをお話ししていきましょう。
   
■ブリ・ド・モー
 チーズの王様に称えられる「ブリ・ド・モー」は圧倒的な人気。なにしろ美食家として知られたシャルルマーニュ大帝(カール大帝)はブリ・ド・モーの愛好家だったと言われています。産地がパリに近いこともあって、領主や王様のテーブルの登場回数もダントツ、フランス史の中に度々その名を見かけます。このチーズを愛した王族貴族は数知れず。中でも特に有名な逸話が、フィリップ・オーギュスト国王やフランス革命の折に断頭台で処刑されたルイ16世、さらに政策の場にこのチーズを持ち出した外相タレーランなど、そうそうたる顔ぶれが登場します。
   
 ルイ16世に関しては、語り継がれてきた逸話があります。フランス革命後に馬車で国外へ逃げる際(ヴァレンヌ事件)、捕らえられて連行された市長宅にて食べ物は何がほしいかと訊かれ、ブリ・ド・モーを所望。それどころか、亡命を図る馬車の中でもこのチーズを食べたいがために馬車を停めたというのです。もちろん馬車の中には、数々の銀食器やワイン樽が積まれていたといいます。
 さて、タレーランの政策というのは、1815年、ナポレオンが敗北した戦争後のことになります。30人以上の大使たちを集めたウィーン会議に出席。この会議では、正統主義を唱えて列強の利害対立を利用し、巧みな外交手腕でフランスの国益を守ったといわれます。その手腕のひとつに挙げられるのが、チーズのコンクールを仕掛けることで自国フランスの「ブリ・ド・モー」をチーズの王様に祭り上げ、フランスの面目を保ったことです。タレーランは美食家としても有名で、シェフとしてアントナン・カレームを雇い、重複しない季節の食材のみを使用した年間メニューをつくる事を命じたといわれます。ウィーン会議の間もたびたび夕食会を主催し、そこで振る舞われた料理は出席者の評判をさらい、カレームの名をヨーロッパ中に広げるきっかけになりました。チーズコンクールは夕食会のひとこまとして、人々を楽しませたのでしょう。

凝固したカードを丁寧にすくって滑りこませるように入れていきます。型に入れた生地が固まってきたら、湿度・温度をコントロールしながら熟成させます。
   

包装・梱包はすべて手作業。
 ほかにも十六世紀ヴァロワ王朝の宮廷では、ブリ・ド・モーをパンにたっぷりと塗りつけるのが最高のおやつとされていました。「王様のチーズ」と呼ばれるようになった所以ともいえそうです。逃亡中に革命家の手に落ちる直前までこのチーズを望んだルイ16世もしかり。人生最後の味を“王様”を冠した食材に求めるのは、王の誇りを確認する意味もあったのかもしれませんね。
 こうした歴史を経た王様のチーズは、フランス革命とともに庶民のチーズになっていきました。人口の増加とともに、農場だったモー周辺には住居が建ち、生産の拠点は東のムーズ県へと移っていったのです。その製造は伝統的製法が受け継がれ、今日でも無殺菌乳を使用しなければなりません。製造されたフレッシュのチーズは熟成専門の業者に熟成と販売を委ねるとういの1984年より自らの手で熟成まで手掛けることにしました。ながい間の努力と探究が実を結び、今ではパリで開催されるチーズコンテストで毎年のように金賞を受賞しています。
   
 フェルミエ製(農家製)と呼ばれるものは、ミルク自体も自家製でなければならないなどの更に厳しい条件をクリアしなければならず、ブリ・ド・モーの需要が高まっていく中で徐々に減少し、とうとう姿を消してしまいます。そして2000年、かの有名なロートシルト家が農家製ブリ・ド・モーの製造に着手するに至ります。3年後には見事AOCの認可を受け、いまではパリのチーズ屋さんが絶賛するほどの人気。熟成に従い、中心にあった白いチョーク状の芯がなくなり、香りも豊かになっていきます。バケットにたっぷり載せて、シャンパーニュと一緒にいただくのが極上の幸せ。上品で繊細、香り高く奥行ある味わい、そして華やかな歴史と存在感、ボルドーのエレガントなワインとの相性も抜群です。
ブリ・ド・モーのご購入はこちら

ローシルト家では、ブリ・ド・モーにトリュフクリームを挟んだ贅沢なチーズも作っています。
   

市庁舎前で行われるお祭り。大きなムランと赤ワインをお花で作ります。
■ブリ・ド・ムラン
 ムランはモーと比べると生産量こそ少ないものの、熱烈なファンを持っています。生まれはムランのほうが先だと主張し、1999年にはムラン市が一丸となり1000年祭りが催されました。ムランの市庁舎に中世の衣装をまとった人たちが集まり、盛大にお祝いしたことを懐かしく思い出します。ムランはほかの兄弟に比べて熟成が難しく製造に手間暇がかかるにも関わらず、それに見合う価格がつけられないことや、姿形がエレガントなモーに比べると赤茶っぽく、土臭いような印象を買い手側にあたえてしまうなどの問題もあるようです。でも、その力強さは一度食べたら病み付きになること間違いありません。
   
“白かびチーズ=食べやすい”といった概念を覆すような濃厚な味わいに、いつのまにか虜になってしまう方も多いのです。惜しみなく手間をかけられる分、生地はなめらかなカスタードクリームのように口溶けし、力強く豊かなコクと複雑な芳香があります。ワインを合わせるなら、それに負けないような男性的な力強い赤で。
 この熟練したテクニックを必要とするムランの熟成を担い、実力を誇る第一人者は、ジャン・クロード・ロワゾーさん。彼が手掛けるものには、ムランを更に5ケ月以上も長期熟成させた「ブリ・ド・ムラン・ノワール」(黒いブリ・ド・ムラン)もあります。中身は黒ずむほどに茶色味が増し、緻密でねっとりとしています。スライスしてパンに載せ、カフェ・オ・レに浸して食べるのもオツな召し上がり方。熟成に応じた食べ方が存在するのも楽しいものです。
ブリ・ド・ムランのご購入はこちら

熟成させることで生地をカスタードクリームのような口溶けにさせます。
   
■ブリ・ド・クロミエ
 末っ子のクロミエは500gほどの手ごろなサイズです。味わいはモーに似てエレガントさを感じさせてくれます。とはいえ、モーの存在があまりにも大きくテーブルに上がる回数は決して多くはありません。
 クロミエが誕生したクロミエ市の自慢は、小さな川が流れる美しくシックな街並み。この町はチーズとワインの定期市が開かれ、ブリ三兄弟が勢揃いする朝市のたつことでも有名です。
 無殺菌乳からつくられるクロミエは、ブリの兄弟らしい旨味と練れた塩味、ヘーゼルナッツを思わせる風味が楽しめます。胡桃やレーズン入りのパンとの相性も抜群です。コクのある白ワインとご一緒に。
ブリ・ド・クロミエのご購入はこちら
   
■このコラムでご紹介したチーズはフェルミエのオンラインショップでお買い求めいただけます。
ナチュラルチーズ専門店 フェルミエ
   
本間るみ子
新潟県佐渡生まれ。
アメリカに1年遊学した時にナチュラルチーズと出会う。
帰国後、入社したチーズ専門輸入商社「チェスコ株式会社」で、チェスコ創業者・故松平博雄氏に出会い、チーズの生まれた背景とロマンに魅了される。退社後、ヨーロッパ一人旅を決行。西欧の歴史と文化の洗礼を受ける。
1984年にレストラン評価本「グルマン」に出会い、レストラン向けのチーズ卸のアイディアが生まれる。
1986年3月、フェルミエを設立。
チーズの情報を仕入れるために生産者を訪ね歩くことで世界中のチーズ関係者との交流が広がる。
フランスのニームやカオールで開催された農家製シェーヴルチーズのコンクール審査員を経て、1997年パリで行われた国際農業見本市のフランス農水省主催コンクールで、日本人初のチーズ部門の審査員を務める。
チーズのおいしさ、楽しさを伝えたいと、講演活動や執筆活動にも情熱を注ぐ。
 
戻る